きらやか銀行員 遠藤俊穀(仮名)当時34歳 入行12年目。

実家は小さな燃料店を経営していたが、顧客・売り上げの減少と父の腰痛などで2年前に廃業。父と母は2人でつつましく暮らしている。長男だったこともあり、いずれは家業を継ぐものだと思っていた。配達の手伝いの時によく父が言っていた「燃料が街を、生活を支えている。」という父の想いには説得力があり、今も深く心に残っている。父のリタイアをきっかけに、銀行マンとして「地域の企業を支える」ことで、その想いを受け継ごうと決意した。

大衆食堂店主 鈴木貞二(仮名)当時45歳

20歳の時に勤めていた工場を辞めていきつけの食堂に弟子入りし、25歳で独立。以来20年間、今の店と、こだわりの味を守り続けてきた。当時の看板メニューは親子丼。一時期は2人の従業員を雇えるほどだった。しかし、徐々に人は街を離れ、客足の減少に歯止めがかからなかった。自分の味を分かってくれる人がいるうちは店を閉めたくはなかったが、いつまでも現実に目をそらすことはできない。蓄えがあるうちに店を畳むのも、家族のためではないかと思い始めていた。

店主の妻 鈴木敏子(仮名)当時40歳。

若くして店を持ち、がむしゃらに働く夫と共に、二人三脚で店を切り盛りしてきた。夫の支えになることが、生きがいだった。お客が少なくなってきて、無口な夫の心配が手に取るようにわかるようになり、疲れた表情の夫を見ていると、とても気の毒に思えた。店を畳む、という選択も、受け入れていかなければならない現実なのだと思っていた。